《山川歴史モノグラフ》36.宋代の学校 祭祀空間の変容と地域意識
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目次:
序章 祭祀空間としての学校と宋代地域社会
1 「宋代」という時代
2 宋代「学校」研究のもつ意義
⑴ 儒教における「学校」
⑵ 科挙と学校
⑶ 地域社会と先賢祠
3 これまでの研究
⑴ 宋代教育史
⑵ 宋代士大夫論の射程
第一章 北宋前半期における廟学
1 宋初の孔子廟と学校
2 巡幸と曲阜の廟学
3 慶暦の興学と学田賜給
4 「廟」から「学」へ
5 「学宮」観念の確立
第二章 地方官学の興起と文翁伝説
1 『漢書』循吏列伝における文翁
2 宋代における文翁言説の端緒
3 文翁伝説の盛行と成都府学
⑴ 成都府学における慶暦の興学
⑵ 文翁言説の継承と成都府学——呂陶の場合
⑶ 文翁言説の継承と成都府学——胡宗愈の場合
⑷ 「石室先生」文同
⑸ 南宋、成都府学における文翁言説——李石の場合
4 文翁伝説への対抗
⑴ 蘇州学の場合
⑵ 福建興学の象徴、常袞
⑶ 常袞の興学とその実態
⑷ 福州府学における常袞
5 「郷賢」としての文翁
第三章 地方官の着任儀礼
1 北宋中期頃までの概況
2 北宋時代の祝文
⑴ 謁廟祝文とその全体像
⑵ 北宋中期頃までの謁廟祝文
⑶ 煕寧以降北宋末まで——曽鞏と蘇軾の例から
3 南宋時代の祝文
⑴ 南宋初期の制度化とその背景
⑵ 南宋期祝文の全体的傾向
⑶ 朱熹の場合
⑷ 孫応時の場合
⑸ 南宋中期以降
4 謁廟儀礼と管理体制
第四章 先賢祭祀の理論
1 北宋末の学校観と「瞽宗に祭る」
2 「凡釋奠者必有合也」の解釈
3 南宋期における「必有合」の展開
4 魏了翁による通祀批判
5 郷先生の概念について
第五章 先賢祭祀と祖先祭祀
1 先賢祠と祖先祭祀——魏了翁の思想から
⑴ 楊文安公祠堂記
⑵ 殷少師祠堂記
2 先賢祠への学校関与
⑴ 葉適『水心集』にみる先賢の後裔
⑵ 常熟県重建学記
⑶ 艾軒先生(林光朝)と艾軒祠
⑷ 修復艾軒祠田記
⑸ 城山三先生祠記
3 学校内先賢祠の多様化——仏寺から学校へ
⑴ 宴雲寺玉陽先生韓公祠堂記
⑵ 衢州修群賢祠記
1 「宋代」という時代
2 宋代「学校」研究のもつ意義
⑴ 儒教における「学校」
⑵ 科挙と学校
⑶ 地域社会と先賢祠
3 これまでの研究
⑴ 宋代教育史
⑵ 宋代士大夫論の射程
第一章 北宋前半期における廟学
1 宋初の孔子廟と学校
2 巡幸と曲阜の廟学
3 慶暦の興学と学田賜給
4 「廟」から「学」へ
5 「学宮」観念の確立
第二章 地方官学の興起と文翁伝説
1 『漢書』循吏列伝における文翁
2 宋代における文翁言説の端緒
3 文翁伝説の盛行と成都府学
⑴ 成都府学における慶暦の興学
⑵ 文翁言説の継承と成都府学——呂陶の場合
⑶ 文翁言説の継承と成都府学——胡宗愈の場合
⑷ 「石室先生」文同
⑸ 南宋、成都府学における文翁言説——李石の場合
4 文翁伝説への対抗
⑴ 蘇州学の場合
⑵ 福建興学の象徴、常袞
⑶ 常袞の興学とその実態
⑷ 福州府学における常袞
5 「郷賢」としての文翁
第三章 地方官の着任儀礼
1 北宋中期頃までの概況
2 北宋時代の祝文
⑴ 謁廟祝文とその全体像
⑵ 北宋中期頃までの謁廟祝文
⑶ 煕寧以降北宋末まで——曽鞏と蘇軾の例から
3 南宋時代の祝文
⑴ 南宋初期の制度化とその背景
⑵ 南宋期祝文の全体的傾向
⑶ 朱熹の場合
⑷ 孫応時の場合
⑸ 南宋中期以降
4 謁廟儀礼と管理体制
第四章 先賢祭祀の理論
1 北宋末の学校観と「瞽宗に祭る」
2 「凡釋奠者必有合也」の解釈
3 南宋期における「必有合」の展開
4 魏了翁による通祀批判
5 郷先生の概念について
第五章 先賢祭祀と祖先祭祀
1 先賢祠と祖先祭祀——魏了翁の思想から
⑴ 楊文安公祠堂記
⑵ 殷少師祠堂記
2 先賢祠への学校関与
⑴ 葉適『水心集』にみる先賢の後裔
⑵ 常熟県重建学記
⑶ 艾軒先生(林光朝)と艾軒祠
⑷ 修復艾軒祠田記
⑸ 城山三先生祠記
3 学校内先賢祠の多様化——仏寺から学校へ
⑴ 宴雲寺玉陽先生韓公祠堂記
⑵ 衢州修群賢祠記
1 書院と祖先祭祀
⑴ 官学と書院の数量的傾向
⑵ 明道書院——元代書院の雛型
⑶ 濂渓書院の場合
2 元代書院の先賢
⑴ 元代前半期における祀典の整備
⑵ 元代前半期の書院建設からみる先賢の地位
3 天下に通祀することと一郷に専祠すること
⑴ 南宋末から元初の官学先賢祠
⑵ 熊禾の孔子廟議
⑶ 黄溍の作為
⑷ 明初、宋濂の「孔子廟堂議」
終章 変容する学校と地域意識
1 変容する儀礼祭祀空間としての学校
2 士人社会における地域コミュニティとしての場
3 地域伝統の創造と地域意識の先鋭化
4 宋元代士大夫と朱子学——士大夫論とのかかわりにおいて
あとがき