講義 宗教の「戦争」論 不殺生と殺人肯定の論理
価格: |
1,980円 (税込)
|
在庫: |
在庫あり |
解説: | なぜロシア正教トップは「プーチンの戦争」を称賛したのか!?イスラエルの入植活動を正当化するユダヤ教の「論理」とは?平和を尊ぶ仏教が戦争を容認する時と場合とは?コーランの「(不信仰者の)首を打ち切れ」はどう解釈されるのか……世界の宗教にはどのような「不殺生」についての「戒」や「倫理」があり、それが時と場合によりどのように「殺人肯定」「戦争容認」へと変化するのか。キリスト教(カトリック、プロテスタント、東方正教)、ユダヤ教、イスラームのほか、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教(初期仏教・上座部仏教、大乗仏教、日本の仏教)、中国の儒教、道教の各宗教を第一線の研究者が論考する。 |
ISBN: | 978-4-634-15247-2 |
著者: | |
刊行: |
2024年7月
|
仕様: | A5 ・ 264ページ |
詳細をみる
目次:
序論 宗教と戦争を考える 鈴木董
宗教とは何か 「不殺生戒」と戦争 一神教系の「不殺生戒」と戦争 非戦論から聖戦論へと変容したキリスト教
ユーラシア東方の宗教の戦争論 宗教と戦争の関わりを知る意義
第一講 キリスト教の戦争論 黒川知文
――聖書と神学、クリスチャン(トルストイ、内村鑑三、ヴェーバーほか)の言説から
聖書における戦争観 「非戦論」から「正戦論」「聖戦論」へ 再洗礼派とカルヴァン派の戦争論
トルストイの戦争論① 『セヴァストーポリ三部作』と『戦争と平和』
トルストイの戦争論② ガンディーが感銘を受けた『インド人への手紙』
内村鑑三の戦争論① 日清戦争「義戦論」から日露戦争「非戦論」へ
内村鑑三の戦争論② 開戦後は戦争の是非を「論争すべき時にあらず」
内村鑑三の戦争論③ 再臨運動と「真の平和」の希求 第一次大戦期に変貌したヴェーバーの戦争論
戦争協力で対応が分かれたアジア・太平洋戦争下のキリスト教会
日本のキリスト者と戦争――思想的プロセスの共通点
第二講 宗教戦争と民族紛争の本質構造 黒川知文
――十字軍、三十年戦争、パレスティナ戦争など
歴史上の宗教戦争 「神のための正義の戦い」――十字軍運動
共存から排他へ――レコンキスタ運動 反カトリックと「民族運動」の混淆――フス戦争
教派対立から国家間対立へ――ユグノー戦争 史上最大の宗教戦争――三十年戦争
排他的教説はなぜ生じるか――宗教戦争の本質
パレスティナ紛争は宗教戦争か――民族紛争と宗教の関わり
第三講 正教会(東方教会)の戦争論 黒川知文
――プーチン・ロシアにおけるビザンティンハーモニーの復活が意味するもの
キリスト教における正教会の独自性 教権と俗権の一体化――ビザンティンハーモニー
ロシア正教の誕生と発展――モスクワ大公国の時代 分裂から服従へ――国家管理下に置かれる正教会
沈黙の時代――ソヴィエト政権による宗教迫害 復活するビザンティンハーモニー――プーチン登場以後
ドストエフスキーの戦争観――西欧へのコンプレックスと「聖戦」
プーチンとドストエフスキーに共通する世界観
宗教とは何か 「不殺生戒」と戦争 一神教系の「不殺生戒」と戦争 非戦論から聖戦論へと変容したキリスト教
ユーラシア東方の宗教の戦争論 宗教と戦争の関わりを知る意義
第一講 キリスト教の戦争論 黒川知文
――聖書と神学、クリスチャン(トルストイ、内村鑑三、ヴェーバーほか)の言説から
聖書における戦争観 「非戦論」から「正戦論」「聖戦論」へ 再洗礼派とカルヴァン派の戦争論
トルストイの戦争論① 『セヴァストーポリ三部作』と『戦争と平和』
トルストイの戦争論② ガンディーが感銘を受けた『インド人への手紙』
内村鑑三の戦争論① 日清戦争「義戦論」から日露戦争「非戦論」へ
内村鑑三の戦争論② 開戦後は戦争の是非を「論争すべき時にあらず」
内村鑑三の戦争論③ 再臨運動と「真の平和」の希求 第一次大戦期に変貌したヴェーバーの戦争論
戦争協力で対応が分かれたアジア・太平洋戦争下のキリスト教会
日本のキリスト者と戦争――思想的プロセスの共通点
第二講 宗教戦争と民族紛争の本質構造 黒川知文
――十字軍、三十年戦争、パレスティナ戦争など
歴史上の宗教戦争 「神のための正義の戦い」――十字軍運動
共存から排他へ――レコンキスタ運動 反カトリックと「民族運動」の混淆――フス戦争
教派対立から国家間対立へ――ユグノー戦争 史上最大の宗教戦争――三十年戦争
排他的教説はなぜ生じるか――宗教戦争の本質
パレスティナ紛争は宗教戦争か――民族紛争と宗教の関わり
第三講 正教会(東方教会)の戦争論 黒川知文
――プーチン・ロシアにおけるビザンティンハーモニーの復活が意味するもの
キリスト教における正教会の独自性 教権と俗権の一体化――ビザンティンハーモニー
ロシア正教の誕生と発展――モスクワ大公国の時代 分裂から服従へ――国家管理下に置かれる正教会
沈黙の時代――ソヴィエト政権による宗教迫害 復活するビザンティンハーモニー――プーチン登場以後
ドストエフスキーの戦争観――西欧へのコンプレックスと「聖戦」
プーチンとドストエフスキーに共通する世界観
――理念と実践のはざま
神と人間のかかわりとしての「戦争」――一神教の聖戦観念
「私の部隊」「七つの民」「嗣業の土地」――ヘブライ語聖書にみられる聖戦
古代のユダヤ民族の戦争――大いなる勝利と大いなる敗北
ラビ・ユダヤ教における聖戦論の形成――ディアスポラの時代
理念化――マイモニデスによる二つの戦争のカテゴリー 非軍事化――聖地への移住(アリヤー)をめぐる議論
聖戦論の大転換――宗教シオニズムとイスラエル建国
聖戦の理念から聖戦の実践へ――中東戦争に対する宗教シオニストの認識
シュロモ・ゴレンによるイスラエル軍の指導――ユダヤ教の軍隊としての規律
メイール・カハネの神政国家思想――聖戦論に基づくアラブ人の排除
入植活動はなぜ過激化したか――「アリヤー」解釈の革新と変容 まとめ
第五講 イスラームは「戦争」をどう考えるか 鎌田繁
――クルアーンと古典的法学、「反体制派のジハード論」
神の支配の下にある人間の現世と来世 イスラームは「殺人」をどう考えるか
イスラーム最初期のジハード論 「神の道のために戦え」――マディーナ期のジハード
クルアーンの「首を打ち切れ」をめぐる解釈 ジハードの古典的法学規定
パレスティナ問題の背景にあるジハード論 イスラーム反体制武装組織と「革命のジハード論」
第六講 ゾロアスター教の戦争イデオロギー 青木健
――「世界最古の啓示宗教」とサーサーン朝ペルシア帝国
ゾロアスター教とは何か サーサーン朝ペルシア帝国での国教化
宗教的シンボルの争奪と戦争の激化――東ローマ・サーサーン戦争
国教に向かなかったマニ教――消えた「第四の世界宗教」
第七講 ヒンドゥー教の古典にみる「宗教と戦争」 杉木恒彦
――クシャトリヤ(戦士)の役割と救い
ヒンドゥー教の法(ダルマ)
法(ダルマ)の伝承と身分の創造 王(クシャトリヤ)の創造とその行為規範
「人民の守護」としての刑罰と武力行使 戦う王と戦士の法(ダルマ)
王がとるべき進軍と「六戦略」 征服事業の四方策――最終手段としての交戦
征服地の文化・慣習を保護せよ
第八講 ジャイナ教の不殺生戒と戦争 上田真啓
ジャイナ教と不殺生 ジャイナ教の歴史――白衣派と空衣派
出家と在家の違い ジャイナ教と戦争――出征するジャイナ教在家信者の物語
世俗権力と宗教の緊張関係 空衣派と世俗権力――南インド諸王朝とジャイナ教
白衣派と世俗権力――カーラカの物語
「戦争」の意味の転換――真の勝者とは
第九講 仏教と戦争――持たざる者の平和論 馬場紀寿
はじめに――初期仏教と上座部仏教 不殺生はどこから来るのか
不殺生の習慣化――五戒 理念としての不殺生――八聖道
アショーカ王によるダルマの政治 アショーカ王と転輪王
人間はいかにして倫理を実現するのか 上座部仏教『大史』の戦争観 目的による手段の正当化
今日も人々の間に生きる仏教説話 おわりに
第十講 大乗仏教から考える戦争と平和 蓑輪顕量
――『法華経』『涅槃経』を手がかりに
戦争はどのように正当化されるか 大乗仏典『涅槃経』とは何か
肯定される「仏法を守るための戦い」 戦いの肯定の背後に見え隠れする「異民族による迫害」
他者を軽んじない菩薩――『法華経』の思想 大乗への敵対者への警告
第十一講 「僧兵」から考える日本仏教と戦争 大谷由香
僧兵とは 比叡山延暦寺と梵網経 裹頭する「僧兵」 仏教の中の「裹頭」
袈裟の功徳
第十二講 儒教における「人を殺すべき場合」 小島毅
儒教は宗教か 儒教における死刑の肯定
天子による「正しい戦争」――義戦の論理 「征」と「寇」――征韓論と元寇の歴史認識
称賛される「敵討ち」――せめぎ合う法と義 儒教的なるもの――侵略戦争の正当化、表忠碑、靖国神社
第十三講 道教と戦争 横手裕
道教とは何か 「宗教」としての道教と歴史的な道教とのズレ
道教の根本経典『道徳経』(『老子』)が説く戦争論——「不争の徳」
軍隊・兵器は「やむを得ず」用いる――いかなる態度で戦争に臨むか
『道徳経』の逆説的方法論――いかにして戦争に勝つか
『孫子』の「戦わずして勝つ」と『老子』の共通点 祀られる「戦争の神」――「道教と戦争」、別の顔
道教の根底にある「不争」の思想
総括 全講義を振り返って 鈴木董
天地創造神を奉ずる一神教の「不殺生戒」 ユダヤ教、イスラームの戦争観 キリスト教の戦争観
「輪廻転生論」と「不殺生戒」 儒教と道教の「不殺生戒」
儒教の戦争観 道教の戦争観