写真で見るペリリューの戦い 忘れてはならない日米の戦場

価格
1,760円 (税込)
在庫: 在庫あり
解説: 天皇、皇后両陛下が戦後70年の節目に戦没者を慰霊するため訪れるペリリュー島。昭和19年、約1万名の日本兵が玉砕するに至った戦闘の実相を、戦後の遺族らの慰霊や生存者との交流を続けてきた著者が写真とともに振り返る。
ISBN:
978-4-634-15075-1
著者: 平塚柾緒 
刊行:
2015年6月
仕様: 菊5  ・  144ページ
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目次:
パラオ戦跡紀行
  日本兵一万余が眠る
  ペリリュー島と世界遺産の島々を往く

序章 知られざる戦場
  南海の孤島に配備されたのは一万余の陸海軍部隊。
  絶対国防圏の要衝サイパンが陥落し、危機感を強めた大本営が
  彼らに命じたのは島を要塞化し、最後の一兵に至るまでの「徹底抗戦」
  だった……。

第1章 オレンジビーチの死闘
  昭和十九年九月十五日。
  米艦艇に包囲されたペリリュー島は海と空から猛烈な砲爆撃を受け、
  米第一海兵師団の上陸作戦が始まった。ガダルカナルでの日本軍との
  死闘を制した「精鋭中の精鋭」は、この島で予想外の苦戦をしいられる
  こととなる。

第2章 徹底抗戦
  本土への侵攻を一日でも食い止めるべく、守備隊は洞窟を巧みに
  使い、夜間の斬り込みをくり返して物量に勝る米軍に挑んだ。
  互いに膨大な死傷者を出しながら、米軍が飛行場を奪取し占領を
  宣言したのは上陸十二日目のことだった。

第3章 見えざる敵との戦い
  米軍の占領下にあっても、ペリリューに残存する千名余の日本兵に
  「降伏」の二文字はなかった。火炎放射器による凄惨な掃討戦、
  そして弾薬・食糧の欠乏……。すいに中川連隊長は十一月二十四日、
  「サクラ、サクラ」の決別電とともに最後の突撃を命じる。

第4章 奇跡の生還
  指揮官を失った残存兵に課せられたのは、ゲリラとなって戦い続ける
  ことだった。日本の敗戦から一年半後、平穏を取り戻していた
  この島で突如銃撃戦が勃発し、残存日本兵の存在が明らかとなった。
  三十四名「奇跡の生還」の一部始終。

あとがき 私とペリリューの半世紀